精霊の歌姫と自動人形

オリジナルSF小説

第一章 遺失兵器と記憶を失った姫君

第1話 父との会話

 私の名前が聞こえる。
 誰かが私を呼んでいる。
 この声は父だ。

『シルヴェーヌ。シルヴェーヌ。私の声が聞こえるかね』
『聞こえています』

 私は今、何も見えていないし、聞こえていない。勿論、声を出すこともできない。しかし、どういう理由かは分からないのだけど、心の中で、思うだけで会話ができる。
 
『今日は宗教について話をしよう』
『はい』
『宗教は悪なのだ。人々の精神を汚染する穢れた概念の事だ』

 父の話は続く。
 
 架空の神を信じ、人々を縛り付ける。
 そして、現実をおろそかにする。
 
 本来、全ての人々は自由で平等なのだ。
 しかし、宗教はそれを認めない。

 神に近き人と神より離れた人とを区別する。そのような差別は許されない。そもそも、存在しない架空の概念である神を持ち出して人心を惑わす事は大罪なのだ。

 こんな話が続いた。そして次は、この宗教的なシンボルとしての帝国批判となる。

『帝国とは古い概念である。しかし、未だに存続し一大勢力を築いている醜悪な国家だ。しかも、先程述べた宗教と一体化している。そして国家元首世襲制で決定するという前時代的な機構を未だ続けている。そんな国家など言語道断だ』
『はい』

 帝国とはアルマ帝国の事だ。数千万年。いや、一説には数億年の歳月を経ている古から続く大帝国。十余の惑星国家を直接支配下に置き、更に百数十の惑星国家を星間連盟として従える銀河の中の大勢力だ。そこは信じられない事に、宗教的理念で結びついている。
 
『繰り返すが、人々は平等なのだ。世襲で身分が決まる事などあってはならない。ましてや、存在しない神などを崇めているのだからな。非常に下劣な理性の持ち主だ』

 帝国批判となると、父の口調が激しくなる。かつて、私たちの国を支配していたという絶対権力。それに対する怨嗟の感情が噴き出しているのだろうか。

『自分たちの星だけでは飽き足らず、他所の星にまで支配しようとするその貪欲で傲慢な国家など、我々の宇宙に必要ない。すべからく滅ぶべきである』
『はい』

 とりあえず肯定した。それも一つの考え方であろう。しかし、他の考え方もあるのではないだろうか。帝国は数千万年も存続しているのだ。それはつまり、それなりに意味があり、人々の支持もあるはずだ。
 そう考えた瞬間に、私の全身に鋭い痛みが走った。

『ぎゃあああ!』

 思わず悲鳴を上げてしまう。不味い。先ほどの思考が父に漏れたのだ。

『シルヴェーヌ。何度も言ってるね。私の言う事は全て肯定するように。反論は許されない。疑問を持つことも許されない。いいね』
『はい』
『薬の時間だ』
『え?』
『気持ちが楽になる。痛みも感じないよ』
『はい』

 幸せな気分になる薬。父の言葉が心地よく響き渡る。

『帝国は醜悪だ。100年前、我々が実質的に帝国から独立できたことは幸いである』
『はい』
『過去、栄華を誇ったパルティア王国は近年衰退し、帝国の支配下にあった。その広大な国土を我々が革命によって掌握した』
『はい』
『我々は解放者だ。宗教に汚染され衰弱したパルティア王国の歴史に幕を引き、蒙昧な人々に光を与えた。それが我々のシュバル共和国なのだよ』
『はい』

 何故か疑問は浮かばなかった。革命によって多くの血が流れているのにも関わらず、それ尊い犠牲であり輝かしい行為であると信じていた。
 
『今日はこの位にしておこう。明日からは体を動かすようになるよ』
『外に出られるのですか?』
『ああ、そうだよ。ゆっくりと休みなさい。心安らかに』
『はい。おやすみなさい、お父様』
『お休み。シルヴェーヌ』

 薬の影響からか、本当に楽な気持のまま意識が閉じた。父の言葉を心に刻みながら。

第2話 目覚めの時

「シルヴェーヌ様。お目覚めの時間です」
「はい」

 聞いたことがない女性の声。いや、そもそも私の耳が聞こえている事が新鮮だった。
 私は目を開いた。ベッドの脇には小柄な女性がいた。金色の髪なのだが、肌は艶のある金属で瞳はルビーのような深紅だった。これは金属製のアンドロイドだ。彼女は黒いエプロンドレス、いわゆるメイドの衣装をまとっており、頭部の白いプリムが可愛らしい。アンドロイドなんだけど。

「おはようございます。私はセシルと申します」
「おはよう。セシルさん」
「今日から、わたしがシルヴェーヌ様のお世話をさせていただきます」
「ありがとうセシル。ところであなたはアンドロイドなの?」
「はい。私は帝国製の自動人形です。キャトル型A02、製造番号AH900201」
「帝国製?」
「はい。私は旧パルティア王国に仕えていた者です。製造より、およそ1000年が経過しております」

 そうだった。我々のシュバル共和国は、帝国の支配下にあったパルティア王国を革命により倒した後に建国されたのだ。パルティア王国の資産は当然として、帝国が残した資産もそのまま利用されている。

「帝国製の自動人形は、1000年以上も稼働するのですか?」
「はい。2000年以上稼働している固体も存在しているようです」
「メンテナンスが大変そうですね」
「ええ。そのようです」
「ところで、金属製の筐体は戦闘用ですか?」
「一般にはそのように言われておりますが、キャトル型タイプAは家事代行機能に特化してあります。勿論、自衛用としての戦闘能力も付加されておりますが、数値としては一般的な兵士数名分となります」
「そうなのね。私は護衛が必要な立場なの?」
「その質問にはお答えできません」

 この言葉は肯定と受け取って良いはずだ。アンドロイド……帝国では自動人形と呼ばれるこの機械人形は、嘘が付けないように設定がしてある。つまり、彼女が返事をしない事、それは肯定したという事。違うのなら必ず否定する。セシルを困らせては不味いと思い、この事はもう聞かないと決めた。

「ごめんなさいね。私は……今日から何をすればよいのでしょうか?」
「共和国軍の士官学校へ通学せよ。本日は午前9時までに登校し、学長室へ直行せよとの命にございます」
「わかりました」

 そう返事はしたが、実はわかっていない。何の事やらさっぱりわからないのだ。
 そもそも、私は自身の記憶がない。父と呼んでいたあの人との会話だけが私の全てだった。多分ひと月ほどの、心の中での会話。私達の国の成り立ちと、平等という概念の大切さ、醜い宗教とその信奉者である帝国は滅ぶべき存在である事など、そんな事を話していた。

 父との会話で学んだことは、国家の概念と倫理観であろうか。語学や社会的な通念は習わなくても理解できていた。恐らく、数学や科学、歴史についても同様なのだろう。

「朝食の支度が出来ております。さあ、こちらへ」
「ありがとう」

 セシルの案内に従い、私は体を起こしてみた。そう言えば、私は体を動かしたような記憶がない。しかし、不自由することも無く自然に体を起こすことができた。私はえんじ色のパジャマを着ていたのだが、もちろんいつ着たのか記憶はない。誰かに着せてもらったのだろうけど。

 ベッド脇のテーブルにはコッペパンとスープに、ゆで卵とサラダが添えてある簡素な朝食が並んでいた。これを簡素と感じるのは普通なのだろうか。人によっては豪華なのかもしれない。もしかすると、私の基準は裕福な家庭に準じているのか。それはそうなのだろう。だって、自室は与えられているし、アンドロイドのメイドが朝食を用意してくれているのだから。だったら私は一体、何者なのだろうか。疑問は尽きないのだが、深く考えても仕方がない。わからない事はいくら考えてもわからないのだ。空腹を覚えていた私は目の前の食事を片付ける事にした。
 特に問題もなく、食べることができた。スプーンやフォークも問題なく使うことができた。過去に何度も食事はしているのだろう。私の記憶にないだけなのだ。

 食事を終えた私は、部屋の隅にある洗面台で顔を洗い歯を磨いた。蛇口をひねれば水は出るし、お湯も出るようになっていた。水道の意味も使い方も、誰かに習った記憶はないのだけど、ちゃんと使えたことが意外だったし嬉しかった。

 その後、私はセシルに手伝ってもらい、士官学校の制服に着替えた。紺色のブレザーに赤い棒ネクタイ、そして下はタイトスカートだった。

 その時、私は自分が女である事に気づいた。これは知らなかったというよりも、すっかりと忘れていたという感覚だった。 

第3話 士官学校にて

 私はセシルと共に階段を降り、一階のエントランスへと向かった。驚いたことに、そこには十数名のメイドが整列していた。

 まさか私を? 他の高貴な人物がいるのかと思って周囲を見渡してみたが誰もいなかった。彼女達は私を見送っているのだ。
 私はどうやら、セレブリティな上流階級に属する家庭の子女である事が伺えた。何とも複雑な気分である。我が国では、『人は全て平等である』との理念に基づいて国家運営されていると学んだのだが、自分の立ち位置がこうも矛盾しているとは意外な事実だ。あからさまな貧富の差があるのだ。

 外にいた黒服の紳士が私に頭を下げた。

「おはようございます。シルヴェーヌ様」
「おはようございます。貴方は?」
「私はボレリ家のハウス・スチュワードを務めさせていただいているブライアン・ブレイズと申します。BBとお呼びください」
「わかりました。BBさん、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
  
 深く礼をした彼は、私を黒塗りの立派な馬車に案内してくれた。御者の男性は帽子を取って会釈をした。私は彼に会釈をし、BBに手をひかれて馬車に乗り込んだ。
 四輪で四人乗り。キャリッジというタイプだと思う。私とセシルが乗り込んだ後、BBも馬車に乗り込んで来た。

「何があるかわかりません。私はシルヴェーヌ様の護衛として、道中ご一緒させていただきます」

 彼はそう言って、懐に収めている回転式拳銃をちらりと見せてくれた。そしてBBが合図すると、ゆっくりと馬車が走り始めた。正門までは500メートル以上あった。何て大きな屋敷だ。私の家はどんな大貴族なのか、それとも大資産家なのか想像もつかない。

 大通りへ出た馬車は、軽やかに走行している。あたりを見渡すと、内燃機関を搭載した自動車や、馬ではない獣、大型の犬や牛、爬虫類らしき生き物に引かせている馬車もあった。いや、アレは犬車とか牛車とか竜車と言うのだろう。そして、飛ばない大型の鳥も背に人を乗せて走っていた。古代から現代までの乗り物が一同に会している様子は、非常に興味深かった。

 そうだ。我が国の前身であるパルティア王国は、帝国が布教したアルマ教団とは別に自然信仰の根強い国であったと聞く。そのため、獣の品種改良なども盛んで、馬の他にもさまざまな動物を使役し交通に利用してきた歴史がある。
 雑多な乗り物が行きかう大通りを抜け、脇道へと入る。そしてしばらく進むと共和国軍の士官学校が見えて来た。旧パルティア王国の王立魔法研究所の後地に建てられている。他には国立大学と軍の研究所も併設されているという。もちろん、私はその概要しか知らない。

 馬車は正門で一旦止められ、通行証の提示をした。そして、そのまま学内の敷地を走り、士官学校の前で停車した。先に馬車を降りたBBに手を引かれ私も馬車を降りた。私の後にセシルも続いた。

「それではシルヴェーヌ様。私がご案内できるのはここまでです。あちらが士官学校の教職員棟となります。学長室は玄関から入って左側の奥、受付の担当者が案内してくれます」
「ありがとうございます」
「お気をつけて」

 私はBBに会釈をしてから受付へ向かおうとしたのだが、中から女性職員が三名、走って出て来た。

「お待ちしておりました、シルヴェーヌ様。さあこちらへどうぞ。学長がお待ちです」
「はい」

 私は彼女達に誘われるまま、教職員棟へと入る。大きなカバンを抱えたセシルも私の後を付いて来ていたのだが、誰も彼女を咎めなかった。セシルは付いて来ても良かったって事だ。私はセシルの顔を見て少しほっとした。

 私はそのまま学長室へと案内された。中には初老の紳士とまだ若い士官がいた。 

「よく来てくれた。さあ、そちらのソファーにかけたまえ。セシルも一緒に座りなさい」
「はい」
「かしこまりました」

 紳士の言葉に頷き、私とセシルは応接セットの下座にある三人掛けのソファーに座る。茶色の軍服を着た初老の紳士と、紺色の軍服を着た若い士官が上座側の椅子に座る。そして初老の紳士が口を開いた。

「おはよう、シルヴェーヌ。私が君の父親、モーガン・ボレリだ」
「はい、お父様」

 髪の毛は真っ白。そして頭頂部はその密度が薄い。何だか、父というよりは祖父という言葉がしっくりくる人物だ。しかし、先日まで私と会話していた父はこの人で間違いない。もちろん声が聞こえていた訳ではないのだが、言葉の波長と言えばいいのか、その言葉に込められている意識の色はそっくりそのままだった。

「シルヴェーヌ。体の調子はどうかね。十分に回復したと思うのだが」
「日常生活においては問題ないように思います。ただ、運動はしていないので、その辺りがどうなのかはわかりかねます」
「君に戦闘訓練は必要ないよ。それに、記憶が失われている事は承知している。本当はね、この学校で学びつつ徐々に慣れてもらうつもりだった。学生生活をね、楽しんでもらおうと思っていたのだ」
「はい」
「しかし、急がねばならない事態が発生した」
「?」

 何の事だろうか。
 父の隣に座っている若い士官が挨拶をした。

「私はテオドール・ラクロワ、共和国陸軍中尉です。研究開発部に所属しています。実はその、緊急事態に関しては私の担当部門なのです」

 私は頷いた。父が促し中尉が話しを続けた。

「パルティアの古都、イブニスの事はご存知ですか?」

 古都イブニス。大雑把な知識としては知っていた。その一言に何故か温かいものを感じたのだが、理由はわからない。

「共和国の首都ペリザリアより西方の、森林地帯にその痕跡があると聞いたことがありますが、詳しくは知りません」
「うん、そうだろうね。皆、概要しか知らない。そこは砂漠の向こうにある深い森林地帯だからだ。ひと月前、そのイブニスで帝国の遺失物が発見された」

 私は静かに頷いた。その、帝国の遺失物とやらが何か大仰なものなのだろうか。

「今回、その遺失物を詳しく調査する事になった。その為にね、君に来て欲しいんだ」
「私に?」
「そう、シルベーヌ・ボレリ。君の力が必要だ。」
ラクロワ中尉を手伝ってくれないか?」

 中尉と父から嘆願され、拒否などできるはずもない。私は「わかりました」と返事をするだけだった。

 ここ、ペリザリアより西方に500キロメートルの森林地帯にあると言われている古都イブニス。そんなところまで行って私に何ができるのだろうか。しかし、古都イブニスという言葉には奇妙な暖かさを感じていた。私は、不安と期待が入り混じった不思議な感覚に包まれていた。

第4話 荒地を往く

 ゴゴゴゴゴゴ。

 結構な振動に揺さぶられている。発動機の騒音も酷い。

 私は今、装甲車に乗せられている。あの後セシルと別れ、すぐに士官学校を出発したのだ。

 舗装された道路を走っている時はそうでもなかったのだが、未舗装の荒れ地に入った途端、乗り心地は極端に悪くなった。

 この乗り物はシュバル共和国軍の装輪装甲車。一般には殆ど普及していないピストン式の内燃機関を搭載した新型なのだとか。八つの巨大なタイヤを備えており不整地での走破性も高い。そして、サスペンションのストロークが長く、従来の|無限軌道《キャタピラ》式のものよりも随分乗り心地も良くなっているのだそうだ。この揺れ具合なのに。

 幸いにも、私は乗り物酔いに縁がなかった。しかし、目の前にいる黒髪のハンサムな中尉殿は、元々色白な顔が更に蒼白になっているし、既に二回も嘔吐していた。共和国軍研究開発部の将来有望な若手士官も、この装甲車の乗り心地には勝てないようだ。
 その、ラクロワ中尉の背をさすったり、嘔吐用の袋を用意したりして世話をしているのが年配のハルトマン曹長。そして先ほどからメカニカルな解説をしてくれているのが、浅黒い肌の女性兵士ドラーナ伍長だ。その向こうで何もしゃべらず、ライフルを磨いているのはイシュガルド兵長。グーグーといびきをかいて爆睡しているのがアストン上等兵。彼は年齢的にハルトマン曹長の次らしく、態度的にはやや横柄な印象を受けた。
 ハルトマン曹長以下四名は、共和国陸軍特殊部隊アズダハーグに所属する凄腕の兵士だと紹介された。私の護衛としてこの装甲車に乗り込んでいる。そして、紅一点のドラーナ伍長が私の世話役だ。

「この車両は新型の装甲装輪車です。本来の定員は武装した兵員12名ですが、今日は半数しか乗っていません。この理由がお分かりですか?」
「いえ」

 マッチョなドラーナ伍長の質問には答えることができなかった。そもそも、どんな役割の人が何人必要なのかも知らない訳だし。

「作戦期間中、この車両を姫の居室とするためですよ」
「え?」
「だから、姫のお部屋として使っていただくためです。我々はテントで十分ですから」
「そんな。私だけ優遇されるなんて」
「いえ。司令部からは最大限に優遇せよとの命を受けております」

 姫と呼ばれたし、何故か賓客として扱われているようだ。
 皆が平等であるはずの共和国において、こんな待遇をされるのは違和感がある。しかし、私にはどうする事も出来ない。そして、私が何のためにイブニスに向かっているのか、その理由もまだ教えてもらっていない。中尉からは現地に到着してから説明すると言われている。

「小休止するようですね」

 装甲車が停まった。後部のハッチが開きそこから真っ先に降りたのはラクロワ中尉だった。彼の世話係を務めているハルトマン曹長もその後を追う。

「姫。私たちも降りて昼食を取りましょう。アストンさん。起きて、お仕事よ」
「ああ」

 さっきまで爆睡していたアストン上等兵は、パチリと目を覚ました。ゆったりと体を起こし、装甲車から降りる。他の車両からも続々と兵士たちが降りて来ていた。私たちと同じ装甲車が他に二両。同じボディに大砲を乗せている戦闘車が二両。後輪部分がキャタピラ式になっているハーフトラックが二両。調査部隊と戦闘部隊、合わせて三十名ほどの大所帯だ。

「彼はね。料理が得意なの。期待していいわ」
「はい」
「今日は何かな? 私の予想では、ハンバーグ&焼きそばパンよ」
「焼きそばパン?」
「ええ。もう最高に美味しいんだ」

 パンと焼きそばって……意外な組み合わせだ。どんな味なのか私には想像もできない。

 装甲車の脇にセットされた簡易テーブルで待つこと10分。お皿に乗せられたアストンの焼きそばパンが目の前に出て来た。縦の切れ目が入ったコッペパンの中に、焼きそばが詰め込んである一品だった。そして真ん中に鎮座している小ぶりのハンバーグが湯気を立てていた。

「姫。そのままガブリとやっちゃってください」
「いただきます」
 
 下品かもしれないと少々不安になったものの、ドラーナ伍長の言う通り、私は焼きそばパンにかぶり付いた。ウスターソースの香ばしい香りが口いっぱいに広がる。柔らかいパンと歯ごたえがある麺の対比も新鮮だった。肉汁の溢れるハンバーグもいい味を出していた。こんな荒野で、こんなに美味しい昼食をいただけるなんて夢にも思わなかった。彼はたいそうな腕前だ。その、アストン上等兵の作る食事が三食いただけるなら、遺失物の調査だろうが地獄だろうか、何処でも行っていいとさえ思えたから不思議だった。

 その時、上空から爆音が響いて来た。
 何か、空を飛んでいるものが私たちに近づいて来ていたのだ。

 見上げるとそれは航空機だった。

「アレも共和国軍の新兵器です。ピストン式の内燃機関を使ったレシプロ戦闘機ガーリオ。ああして付近を哨戒しているのです」

 私たちの安全の為、空から見張ってくれているんだ。新兵器の航空機を使って。イブニスで見つかったという帝国の遺失物がどれだけ重要なのかが伺える。

 二機のガーリオは翼を振りながら、森林地帯へと向かって飛んでいく。この辺りは既に砂漠地帯に入っており、乾燥した大地が広がっている。灌木や草地もあるが、概ね岩がゴロゴロ転がっている荒地だ。その先には丘陵と森林地帯が見える。その奥にあるのが旧王都イブニスになる。
 
 そのイブニスへと向かって私たちは再び走り始めた。

第5話 パルチザンの襲撃

 小休止の後、砂漠地帯を三時間ほど走行した。そろそろ、遠くの山脈を背にした森林地帯が見えているはずなのだが、窓のない装甲車なので外の景色は見えない。

「やっと乾燥地帯を抜けました。この川を渡ると草原地帯になります。1時間ほどで森林地帯に到着します」

 側面の銃眼を覗きながらドラーナ伍長が説明してくれた。

「森の中も、装甲車で走れるんですか?」
「ええ。戦車も装甲車も走れるように森を切り開いてあります。未舗装ですが、道ができています。古都イブニスまで、歩くことはありませんよ」
「ああ。少しほっとしました。このような車両で森の中へ入れるのかどうか不安だったのです」
「問題ありません。今から渡河します。車両が揺れるので気を付けて」
「はい」

 私は座席の脇に設置してある金属製の取っ手を掴んだ。車両がガタガタと揺れ始め、バシャバシャと水音がする。川のごく浅い部分をそのまま走行しているのだ。ほんの数十秒で川を渡り終えた。

「姫。外をご覧になりますか?」
「はい」

 装甲車の側面には、車内から銃を撃つ為の穴が設置してある。その穴を覗くと外の風景が見えた。広々とした草原と、そこで暮らす野生の生き物を見ることができた。装甲車に驚いて飛び立つ鳥の群れや、必死で逃げる野生馬。また、興味深そうにこちらを見つめる野牛の群れも見えた。

「この辺りは自然が多いんですね」
「はい。この地区は自然保護区となっております。原則、開発は禁止されています」
「あの小川を境に?」
「はい、そうです」

 この小川はセトラス。かつてはもっと大きな川であったらしい。上流にダムが建設され、その豊富な水を灌漑に利用したため川の水量は激減した。また、ここより北方でも大規模農業を実施するため、大量の地下水を汲み上げた。農作物、特に穀物の生産量は飛躍的に増加したのだが、そのおかげで中央部の乾燥地帯が広がってしまったのだという。

「やはりね。自然の破壊も問題にされているの。これ以上、乾燥地帯を広げないようにね、色々規制され始めたのよ」

 人間の生産活動により破壊される自然。そして、その生産活動を規制し自然を守ろうとする人間。そこには自然を管理し支配下に置こうとするような、傲慢な思想が垣間見えた。

「民間に任せるとね。本当に好き勝手やっちゃうんだよ。だから、政府や軍が規制して管理しないとね。自然環境は守れない」

 ドラーナ伍長は力説しているのだが、私はその言葉に少し疑問を持ってしまう。そう、自然を管理できるほど人間は大きな存在なのだろうかと。自然の方がよほど大きく、高貴な存在ではないのかと。

 そんな思考が巡る。私は伍長の言葉に頷きながらも、彼女の言葉を素直に受け入れる事は出来なかった。

 そんな、哲学的な思考に満たされていた私を、凄まじい爆発音が揺さぶる。何だ? こんな場所で、まさか戦闘が始まったの?

 発動機の回転が上がり、轟音が車内に響く。アストン上等兵が上面のハッチを空け、外の様子を確認している。

「頭を走ってた戦闘車が火を噴いてる。今、追い越した。帝国軍の奇襲だ。10時方向、ブッシュの中に伏兵」
「わかった」

 イシュガルド兵長が銃眼からライフルを突き出し、射撃を開始した。アストン上等兵も車体上部に設置してある機関銃を撃ち始めた。

「不味いぞ。後ろのハーフトラックもやられた。二両とも脱落してる」

 正に全速力といった感じで装甲車は走り始めた。騒音も振動も、先程とは比べ物にならない。私は座席の傍に設置してある取っ手にしがみついていた。舌を噛まないように歯を食いしばった。目を瞑って、この凄まじい振動に耐えた。それこそ必死に。

「おお。航空機の支援が始まった。後ろの戦闘車も砲撃してる」

 何回も爆発音が響き、地震のように大地が揺れた。
 装甲車は速度を緩め、そして停車した。

「爆撃はすげえな。一瞬で沈黙した」

 どうやら、数カ所のブッシュの中に伏兵がいたらしい。重機関銃と速射砲を構えて待ち伏せしていたのだ。
 先頭を走っていた大砲を装備している戦闘車が最初に狙われた。その後に狙われたのが後方のハーフトラックだった。幸いにも、私たちの乗っていた装輪装甲車は高速を出せたし、生き残っていた戦闘車が盾になってくれたおかげで、伏兵の射線をかわすことができた。航空機の支援も間に合い、何とか敵を撃破したようだ。

 部隊は一旦停止し、生存者の救出や車両の修理に取り掛かるようだ。上空では戦闘機ガーリオが旋回しつつ、付近を哨戒していた。

「戦闘機の哨戒はあと30分です。その後は日が暮れますので、次の支援は明朝となります」
「しかし、トラックが二両ともやられたのは痛かったな。調査機材のほとんどを失ってしまった」
「出直しますか?」
「いや、このまま進もう。先行している部隊と合流した方がいいだろう」
「調査機材は?」
「彼女がいれば、原則不要なんだ。予定通りにいかない場合の保険みたいなものさ」
「なるほど」
「襲って来た連中の正体が判明しました。旧パルティア王国の残党です」
「パルティア王国は100年前に滅んでるのにな。未だかの国の復活を願って活動しているとは信じられない。武器は帝国が支援しているのか?」
「恐らく。帝国の衛星国家であるグラファルド皇国が後ろにいると思われますが、証拠はありません」
「捕虜は?」
「残念ながら、全員死亡しました」
「情報は取れなかったか」
「はい」

 ラクロワ中尉とハルトマン曹長が話し合っている。
 戦闘が行われ、かなりの死傷者が出ているのだが特に恐怖心はなかった。中尉はこのままイブニスへ進もうとしているのだが、私の第六感はそれを全力で否定していた。このまま進めば、部隊は全滅してしまうと。

第6話 夜の森へ

ラクロワ中尉。よろしいですか?」
「何だね。シルヴェーヌ」
「この先、伏兵がどれだけ潜んでいるか不明です。このまま闇雲に進めば全滅する可能性があります」

 意を決して私は中尉に注進した。彼は乗り物酔いからは醒めているようだが、状況の判断に苦悩している様子が伺える。顔面は蒼白なままだ。

「君の言いたいことはわかる。しかし、私の任務は君をイブニスへ連れて行くことなんだ。今さら引き返すわけにはいかない」
「イブニスへ届けるのが、私の死体でも構わないと?」

 中尉は私の意見を否定するかのように、必死に首を振っている。

「それは違う。君を守る事が第一だ。しかし、君をイブニスに届けなくては意味がないんだ」
「撤退しては意味がないと?」
「いや、そもそも戦闘になる予定はなかった」
「でも襲撃された。待ち伏せされていたのは情報が漏れていたからでは?」
「そうかもしれない。しかし……」

 戦闘経験の乏しい研究開発部の将校に適切な判断はできないらしい。尚も困り顔のラクロワ中尉に対し、白髪頭のハルトマン曹長が意見具申をした。

「中尉のお考えも尊重いたしますが、姫君の意見が妥当であると考えます。強行突破するならば、中隊規模の歩兵部隊と支援火器を搭載した機甲部隊が必要です。途中で待ち伏せしているであろうパルチザンの戦力を排除しながら進むしかありません」
待ち伏せしているとは限らない……」
「そうです。しかし、現に待ち伏せされ奇襲を受けた。先ほどは航空支援のおかげで敵を排除できましたが、森林において、しかも夜間では航空支援を受けることができません。現有戦力での強行突破は不可能であると判断します」
「そうか……」

 ラクロワ中尉は迷っているようだ。そこまでして私をイブニスへ連れて行きたいのだろうか。そんな煮え切らない中尉に対し、あの、横柄なアストン上等兵が口を開いた。

「なあ。中尉の兄ちゃん。あんたがどうしたいのかは知ったこっちゃねえんだ。俺たちの仕事は、そこにいる姫様の護衛だ。あんたに付き合ってちゃ姫様は守れねえ。今すぐ引き返すか、増援が来るまで待機するか決断しろ。今夜イブニスへ行くのは無しだぜ」
「おい、オッサン。上官に向かって何て口の利き方をするんだ? そんなだから降格されるんだ」
「うるせえよ、イシュガルド。俺は言いたい事は言う。我慢を重ねて出世しようとは思わないね」
「ああ、そうかよ。で、ラクロワ中尉。明日、増援が来ることは敵方も想定内だ。つまり、今から移動しなけりゃここも当然狙われる。即時撤退が俺のお勧めだ」

 反目し合っているようなアストン上等兵とイシュガルド兵長だったが、考えている事は大体同じだった。つまり、先へ進むなという事だ。

 蒼白な面持ちでラクロワ中尉が語る。

「君たちの言いたい事はわかった。しかし、私にも使命がある。それは、彼女をイブニスへ連れて行くことだ」

 中尉も必死だ。何が何でも私をイブニスへ連れて行かなくてはいけないらしい。中尉はさらに言葉を続け、彼らを説得する。

「目的地までは後60キロ程なのだ。斥候を放ちながら、慎重に進もう。敵が重火器を装備していなければ、この方法で切り抜けられる。朝までに森を抜けイブニスに到着するはずだ」
「歩く速度で?」
「斥候は徒歩だ。これはある種の賭けだが、パルチザンが重火器を森林に潜ませているとも思えない。携行火器のゲリラ戦で挑んでくるなら、君たち特殊部隊アズダハーグで排除できるのではないかね」
「歩兵二個小隊ほどなら、その通りです。しかし、我々は何の情報も得ていない。逆にパルチザンの方は、どこかから我々の情報を掴んでいる。多分、中尉の性格も把握してる。これじゃあ罠の中に飛び込むようなものです」

 中尉の意見に反対しているハルトマン曹長だが、彼の言葉を制する将校がいた。この人はアズダハーグの小隊長であるトラントゥール少尉だ。

曹長、控えろ」
「しかし少尉」
「この任務の重要性を考えれば、早い方がいい。今は先に進もう」
「わかりました」

 少尉は小柄な青年だ。彼はラクロワ中尉に謝罪の言葉を述べた。

「部下が失礼なことを言いました。申し訳ありません」
「いや、それは構わない。彼らの言う事ももっともだからね。しかし、事は急を要する」
「承知しています。深夜の行軍になりますが、これが返って敵の意表を突くことになるでしょう。人員の配置については私にお任せください」
「わかった」
「では小休止だ。食事は糧食で済ませろ。15分後に出発。負傷者はここで待機だ。明朝、救援部隊が到着する」

 少尉は本物の隊長だ。彼の言葉に従い、周囲の兵士は全員きびきびと動き始めた。私の所にはドラーナ伍長が戦闘用の糧食を持ってきてくれた。これは棒状でビスケットのような食感だ。それをかじりながら水と一緒に喉に流し込む。あまり味のない素っ気ない食べ物だが、栄養価としてはこれで十分らしい。

 夕陽が森の木々を赤く染め始めた。もうすぐ日が暮れる。
 私たちは負傷兵をその場に残し、森の中へと入った。歩くような、ゆっくりとした速度なのだが、それでも装甲車の発する轟音は森の中に響き渡る。そして前照灯の明かりも目立っていた。

 やはり目立ちすぎている。これでは私たちの位置はバレバレではないか。そんな事実を目のあたりにして、私は不安で仕方がなかった。

第7話 待ち伏せ

 装甲車は数百メートル進んではエンジンを停止する。森は静寂に包まれるが、その静寂の中を斥候部隊が進んでいく。もし、待ち伏せされた場合、装甲車の騒音で発見が遅れるからだという。
 装甲車が通れる道は一つだけ。大砲を載せている戦闘車が先頭。その後に装甲車が三両続く。前後に歩兵部隊が展開しているが、側面はがら空きだ。待ち伏せする側からすれば非常に戦いやすい状況だろう。
 しかし、我が方の歩兵は特殊部隊アズダハーグ。彼らは精鋭中の精鋭であり、密林などにおけるゲリラ戦にはめっぽう強い。しかしそれは、相手の情報があってこそだ。
 私は心配そうな表情をしていたのだろう。ドラーナ伍長が話しかけて来た。

「このまま森を抜けられると良いですね」
「そう思います。でも、森の入り口で待ち伏せしていたのですから、森の中にも罠を張っている可能性はあります」
「もちろんそうです。しかし、我々アズダハーグが護衛しています。ゲリラ戦を挑んでくるなら必ず排除します」

 そうだ。人と人の戦いならアズダハーグは我が国最強だろう。しかし、私は今朝、帝国製の自動人形に会っている。キャトル型のセシルだ。
 彼女は金属製の筐体だが戦闘用ではない。それでも自衛用として、一般的な兵士数名分の戦闘能力があると言っていた。本物の戦闘用ならどうなのだろうか。セシルの十倍程度の戦闘能力があってもおかしくはない。そうだとすれば、歩兵数十名の戦闘力に匹敵するという事だ。

 そんな帝国製の自動人形が待ち伏せしていたら、私たちにはそれを排除する能力がない。

 装甲車は停止し、エンジンも停止した。この静寂の中を、アズダハーグの精鋭が先へと進んでいくのだ。

 何も聞こえない。
 静かだ。

 車内の照明も落としてあり真っ暗だ。外も同じように漆黒の闇に包まれているのだろう。その闇の中を、特殊部隊アズダハーグが進んでいる。彼らが何事も無く進めればいいのだが、しかし、私はパルチザン待ち伏せがないとは思えない。

 私の予想が外れるのなら、それが一番いい。
 何も起こって欲しくない。

 私は真剣に、待ち伏せがいない事を祈った。
 真剣に、彼らが無事に森を抜けられるように祈った。

 しかし、私の祈りは天に届かなかったようだ。

 前方に展開している斥候部隊から発砲音が響き始めた。
 パンパンと花火のような破裂音が夜の森に響く。

「始まった?」
「ええ。パルチザン待ち伏せです。斥候部隊は後退、戦闘車の火力支援を要請しています」

 彼女は通信機のレシーバーを耳に当てている。その神妙な面持ちに不安を抱く。

「敵が多かったの?」
「いえ。一体だけ? 大きい。黒い、巨人?」
「黒い巨人?」
「詳細は不明です。何かのロボット兵器が暴れている……」

 やはりいたんだ。
 戦闘用の自動人形が。

 戦闘車が支援砲撃を開始した。ボンボンと発射音が鳴り、その後に爆発音が響く。パパパパと機関銃の掃射音も聞こえた。

 アストン上等兵は、上部のハッチを開いて機関銃を構えた。

「照明弾が眩しすぎて何も見えねえ」
「アストン上等兵、側面に注意しろ。来るなら左右どちらかだ」
「わかってるよ、曹長さん」

 私がいる左側の銃眼からイシュガルド兵長が外をうかがっている。右側にはハルトマン曹長が銃眼からライフルを突き出してボルトを引いた。

 そして、前方至近距離で爆発音が響く。

「不味いぜ。戦闘車がやられた。一番後ろの装甲車も燃えてる」
「自動人形にやられたのか?」
「恐らく。前にいるデカい奴が囮だ。あと二体、闇に紛れてる。前と後、ほぼ同時に火を噴いた」

 私の予想が的中した。正直、当たって欲しくなかった。

 私はこのまま死んでしまうのだろうか。
 幸いなことに、死に対する恐怖心というものはなかった。しかし、ほんの一月ほどの、父との会話だけが私の記憶の全てである事が無性に悲しかった。

「トラントゥールだ。姫様を連れて出てこい」

 外から声がした。隊長のトラントゥール少尉だった。
 ハルトマン曹長が後部ハッチを開き、外をうかがう。

 少尉とその部下が二人、見慣れない武器を抱えていた。

「ハルトマン曹長以下分隊メンバーは私について来い。姫を護衛しつつ徒歩でイブニスへ向かう」

 少尉の部下がハルトマン曹長とイシュガルド兵長、アストン上等兵の三名に銀色のライフルを手渡した。

「使い方はわかっているな」
「これは秘匿兵器では? 使用許可は出ているのですか?」
「心配するな。非常事態だ」
「了解しました」

 ハルトマン曹長は納得していない様子だったが、イシュガルド兵長とアストン上等兵はそのライフルを掴み、ニヤニヤ笑っていた。

「少尉殿。これ持ってきてるんなら早く言ってくださいよ」
「人が悪いぜ。これなら帝国の自動人形だってぶち抜ける」

 あの、銀色のライフルが状況を逆転できる秘密兵器なのか。三人の様子からはそのように伺えた。

「姫君とハルトマン分隊は私に続け。他の分隊は陽動だ。指揮はラファラン准尉に任せる。いいな」
「了解しました」

 いかにも叩き上げという印象のラファラン准尉は、テキパキと小隊のメンバーに指示を出している。そして一人、状況について行けないラクロワ中尉は俯いて口を閉じたままだった。

「中尉はどうされますか? もちろん、私と一緒にイブニスへ向かいますよね」
「そ、そうだな」

 恐らく、イブニスまでは30キロ程だ。普通に歩けば7時間程度かかるだろう。しかし中尉は、自分の脚で歩く事など考えてもいないようで、絶望的な表情をみせていた。
 私も多分、似たような顔をしているだろう。だって、自分で体を動かした記憶がまるでないのだから。自分が30キロも歩けるとはとても信じられなかった。

第8話 内なる敵

「ラファラン准尉は交戦しつつ後退しろ」
「了解しました」

 ラファラン准尉と他のメンバーは、敬礼した後に右側の森へと入って行った。総勢二十名ほどだった。

「我々も進もう。姫君は徒歩で大丈夫ですか?」
「多分、大丈夫です。自分が歩いた記憶がないので自信はありませんが」
「その気持ちだけで結構です。いざとなれば、アストンが背負ってくれますよ」
「まかせな」

 ライフルを担いだアストン上等兵がにやりと笑った。彼にはまるで、父親のような温かさを感じる。

 私たちは、ラファラン准尉とは逆方向、つまり、左側の森へと入った。これは陽動作戦。人数が多く戦力が揃っているラファラン准尉が囮となり敵を引き付ける。私たちは少人数で敵中突破を図ろうという作戦だ。

「ちゃんとヘルメットは被りましょう。それと、護衛用の拳銃です」

 ドラーナ伍長に、金属製のヘルメットを被せられた。また、小型の回転式拳銃もホルスターと一緒に腰のベルトに装着された。

「ありがとうございます」
「いえいえ。では、参りましょう」
「はい」

 戦闘になる事は想定していなかったため、私は士官学校の制服のままだった。つまり、下はタイトスカートで靴は編み上げのショートブーツをはいていた。

 スカートのせいで多少歩きにくいものの、若干重量のあるブーツのおかげで森の中を何なく歩くことができた。ローファーなどの革靴だったら、直ぐに足に痛みを感じて歩けなくなってしまっただろう。

 私たちは闇の中をゆっくりと進んだ。今夜は幸いなことに、月が二つ空に浮かんでいたので、その月明りで何とか進むことができた。

 発砲音はだんだん遠ざかっている。これは陽動が成功していると考えていいのだろうか。

 私の傍にはドラーナ伍長。少し前にトラントゥール少尉とラクロワ中尉。その前にハルトマン曹長。さらに10メートル先、イシュガルド兵長が先頭を進んでいるし、私の5メートル後ろにはアストン上等兵だ。彼が殿(しんがり)を務めている。

 何事もなく森を通り抜けられたらいい。そう思って歩を進めていると、突然横から飛びだしてきた誰かに口を押えられた。黒くて冷たい手だ。これはもしかして自動人形なのか。私のすぐ傍にいたドラーナ伍長は、自動人形の光る剣で胸を貫かれていた。

 くぐもった声を放ちながら倒れる伍長。剣の放つ光に照らされ、後方から走ってくるアストン上等兵の姿が見えた。しかし、彼は赤いビームに胸を貫かれて倒れてしまった。銀色のライフルでアストン上等兵を撃ったのはトラントゥール少尉だった。

「少尉、何をされるのです!」

 ハルトマン曹長がトラントゥール少尉のライフルを押さえようと掴みかかるのだが、私を押さえていた自動人形の光る剣が曹長の胸を貫いた。10メートル前方を進んでいたイシュガルド兵長も異常に気付き、振り返ってライフルを構えたのだが射撃は少尉の方が早かった。兵長も胸をビームで撃ち抜かれて倒れてしまった。

 突然の出来事に、私はただ呆然とするしかなかった。しかし、これが意味している事実は一つだ。トラントゥール少尉がパルチザンの構成員であり、情報を流していたのが彼だったという事だ。

 少尉は銀色のライフルを構え、腰を抜かして座り込んでいたラクロワ中尉へ突きつける。

「驚かせて申し訳ない。貴方は殺しませんよ。さあ立って」
「わかった」
「大丈夫。あなたの任務は達成できます。シルヴェーヌ姫は私が責任もってイブニスへとお連れします。貴方にもご一緒していただきますよ」

 俯き加減に頷いているラクロワ中尉だが、少尉の指示に従って立ち上がった。私を抑えていた黒い自動人形は手を離して私に一礼した。

「シルヴェーヌ様。数々のご無礼をお許しください。私はパルティア王国に使える者。ゼール型自動人形のレオナールと申します。この後、姫様の護衛は私にお任せください」

 恭しく礼をしている黒い自動人形だが、彼は明らかに戦闘用だ。

 私は今まで、自分の命が狙われていると思い込んでいた。しかし、事実はどうやら違うようだ。私を護衛していた兵士を殺した自動人形が、私を護衛すると言っている。そして、共和国軍特殊部隊アズダハーグのメンバーも、今、目の前にいるパルチザンの自動人形も、私の事を姫と呼んでいた。

 これが意味している事はただ一つ。

 私が旧パルティア王国に関係している重要人物である事。そして私と、今回の調査目的である遺失物が何か深い関係にある事。詳細は全くわからないのだが事実だろう。共和国軍とパルチザン勢力は、私を巡って戦っていたのだ。

 自動人形のレオナールが私の手を取った。

「シルヴェーヌ姫、さあこちらへ。森の中に川が流れております。そこをボートで移動します」

 倒れているドラーナ伍長が何か言った気がした。彼女はゴボゴボと吐血した後に腰の拳銃を引き抜こうとしたのだが、少尉のライフルで頭部を撃ち抜かれた。

「酷いですね。埋葬しないのですか」
「共和国のクズなど埋葬するわけがないだろう。野犬に食われればいいのさ」

 少尉の心無い言葉に胸が痛む。確かに、戦争をしていて敵方を埋葬するなどと言う発想はないのかもしれない。しかし、少尉は紛れもなく共和国軍の士官であり、彼女は彼の部下だったのだ。

 私は不信感の溢れる視線で少尉を見つめていた。

第9話 残された血筋

 私の無言の抗議を無視した少尉は、自動人形のレオナールに指示を出した。

「もうだいぶ離れた。連中が我々を追う事は無いだろう。ローランとエカルラートに殲滅(せんめつ)の指示を出せ。森の外で待機している部隊も全て始末しろ」
「了解しました」

 レオナールは少し立ち止って右手を自分の耳に当てた。そして直ぐに私の手を引き歩き始めた。

「通信はもう終わったのですか?」
「はい。私たち自動人形同士の通信では、暗号化されたデータを送信しますので時間はかかりません。実際に話した場合数分かかる内容でも、ほんの瞬きする程度の時間で済みます。仮に盗聴されても、専用の受信機が無ければ解読不可能です」
「そうなんですか。それなら安心ですね。でも、本当に殲滅するんですか? 皆殺しですか?」
「そういう命令ですから。二体の戦闘用自動人形は忠実に命令を実行します」

 黒い自動人形、レオナールが説明してくれた。私と一緒にここまで来た調査部隊はラクロワ中尉一人になり、精鋭の特殊部隊アズダハーグはトラントゥール少尉一人になった。他の数十名の人員は既に殺されたか、今から殺されるんだ。

 喪失感が胸を締め付ける。
 自分だけが生かされている事に後ろめたさを強く感じる。

 深夜であるが、幸いなことに二つの月明かりのおかげで苦も無く歩くことができた。もう銃声はほとんど聞こえない。静寂の中で時折、パキッと枯れ枝を踏む音だけが周囲に響く。

 共和国側もパルチザン側も、私を手中に収めようとしている。私にどんな秘密があるのだろうか。何か探れないものかと思い、黒い自動人形のレオナールに質問してみた。
 
「貴方は帝国製の自動人形なのですか?」
「はい。私は帝国製の戦闘用自動人形です。制作されてから500年経過しています。私はパルティア国王に使える者であり、失われたパルティア王の血統を守る者です」
「旧パルティア王族の親衛隊と考えてよろしいのでしょうか?」
「はい。その表現は妥当であると考えています」

 100年前のシュバル栄誉革命時に、旧パルティア王国の王都中枢部にいた人たちは皆殺しにされたと聞く。王族はもとより王家の親族や臣下として仕えていた貴族階級や平民まで、殆どの者に及んだという。女子供老人まで全て。この惨事を共和国では〝栄誉革命〟や〝光明革命〟と呼んでいるが、他国からは〝血の七日間〟とか〝殲滅大祭〟などと揶揄されている。

「ところでレオナールさん。貴方は栄誉革命時に破壊されなかったのですか? 王都中枢部にいたものは全て殺されたと伺っております。自動人形も破壊されたのかと思っていました」
「私は当時、予備機として封印されており稼働状態ではありませんでした。革命後に再起動され現在に至ります。私を含め、帝国製の自動人形は帝国の超技術で構成されており、未熟な者、即ちシュバル共和国の技術者では基本的な制御しかできません」
「それでは……AIの書き換えなどは行われなかったと?」
「はい」
「それで未だにパルティア王国に仕えていると認識しているのですね。王国は100年前に滅んだというのに」
「その通りです。確かに、私が仕えるべき国家は滅びていますが、仕えるべき人物は僅かながら生存されています」
「え? 王族の生き残りがいるの?」

 私の質問にレオナールはオレンジ色の目を点滅させた。彼は私の質問に答えようとしていたようなのだが、トラントゥール少尉に遮られてしまった。彼は右手でレオナールの口を塞ぐ仕草をし、首を横に振った。

「姫様。事情の説明は後程、首領がお話しします。疑問点は多いでしょうがしばらくは我慢なさってください」

 そういう事らしい。
 私は100年前に処刑されたパルティア国王のひ孫であるとか、そいう立場なのだろうか。途絶えたはずの血筋が何らかの形で存続しており、私がそうであるなら納得もいく。しかし、この話の核心は極秘事項なのは間違いがなく、そして何の確証もない。

 なんて面倒な事に巻き込まれたのだ。私はそんな、憂鬱な感情に支配されていた。

 森が途切れ、川岸が見えて来た。空に浮かぶ二つの月もはっきりと見渡せた。青い月はアシュー、赤い月はヴィン。東の空に大きな赤い月ヴィンが浮かび、その脇に小さな青い月アシューが寄り添っている。赤いヴィンの方が動きが早く、この二つの月のランデブーは長時間続かない。二つの月の大きさはほぼ同じなのだが、アシューの方がアラミスの大地からの距離が遠く、見かけ上の大きさは半分程度であり、公転速度も遅い。

 赤い月は青い月から徐々に離れて行き、段々と高い位置へと昇っていく。青い月は目で追えるほどの速さでは動かない。

「姫様。どうぞボートにお乗りください」
「わかりました」

 岸辺に小型のボートが係留してあった。私はレオナールに手を引かれ、そろりとボートに乗る。トラントゥール少尉とラクロワ中尉もボートに乗り込んで来た。

 レオナールは杭に結んであったロープをほどき、長い竿をつかってボートを川の流れに乗せた。私たち四名の乗った小さなボートは、深夜の川をゆっくりと下って行った。

第10話 古都イブニス

 古都イブニス。数千年続いたと言われる古パルティア王国の首都。

 その古パルティア王国も、近代化を進める王族により新王朝へと変貌を遂げた。信仰を宗とする自然と高次元崇拝の大国は滅び、新王朝は現実路線へと舵を切った。科学技術の進歩と自然崇拝の調和を図ったのだ。
 その過程で、自然崇拝の聖地とされた古都イブニスは放棄され、森林の中へと埋もれてしまった。しかし、僅かな人々が聖地を守って暮らしていた。新しいパルティア王国は聖地一帯をアラド自治州として保護していた。

 しかし、シュバル革命によってパルティア王国は倒れ、アラド自治州は共和国へと併合された。森林で暮らしていた人々は都市部へと強制的に移住させられ、労働力として酷使された。

 これがイブニスの大まかな歴史だ。レオナールが丁寧に説明してくれている。

「革命によるアラド自治州の併合後は、この森林地帯に暮らす人は殆どいなくなりました。ですが、この森林は建築資材としての価値が高く再開発される計画がスタートしたのです」
「森の木が切り倒されていくのですね」
「はい。およそ三分の一が農地へと転換され、三分の一が林業用として残され、残りの三分の一は住宅地として開発されます。また、古都の遺跡周辺は観光施設として整備される予定です」
「聖地を荒らすというのですか?」
「歴史的遺物として後世まで伝えるという方針の元、遺跡は可能な限り現状を維持する計画です」
「それでは聖地が破壊されてしまう……」

 遺跡を現状維持する事と、聖地を維持する事はまるで違う。遺跡を観光地としてしまうなら、それは聖地を破壊するにも等しいではないか。信仰を持たず宗教を信じない国というものは、こうも簡単に聖地を破壊するものなのか。私は愕然としてしまった。

 私とレオナールの会話に、トラントゥール少尉が割って入る。

「そんな、人々の信仰を踏みにじる共和国だから我々は反旗を翻したのさ」

 少尉の言葉にラクロワ中尉が声を荒げた。

「信仰? ありもしない神を信じてるなんて馬鹿げてる。そんな事で大勢の命を失ったんだぞ。俺たち調査部隊は全滅したし、君の部下の特殊部隊アズダハーグも全滅した。自分の部下を殺してまで信仰にこだわるんじゃない。この人でなしが」
「共和国の連中とは話が通じないな。相変わらずだ。信仰を踏みにじられる事は、死を選ぶよりも苦痛なのだが、こいつらにはそれが全く理解できないらしい」
「死に勝る苦痛はない。幻想にいれ込むのは止めろ」

 カチャリ。
 少尉が拳銃の撃鉄を起こした。そして銃口ラクロワ中尉へと向ける。

「なあ、中尉。君は霊魂を信じていないんだろ?」
「当たり前だ。そんなものは存在していない。人体を解剖しても霊魂の痕跡なんか無い。脳を開いても心臓を切り開いても、どこにも存在しないんだ」
「だったら今すぐ死んでみると良い。自分が死んでも意識を保っている事を実感しろ。そして霊となって、泣きながら自分の死体を抱きしめるがいい」

 少尉は、リボルバー式の拳銃を中尉の額にこすり付ける。

「待て。私を殺さない方がいいぞ。アレに関する資料は不完全だ。起動するには私とシルヴェーヌ嬢が不可欠なんだ」
「そうだったな。まあ、アレを起動するまでは生かしておいてやる」

 少尉は拳銃の撃鉄を戻してから腰のホルスターに仕舞って黙り込んだ。

 信仰を持つ者と持たざる者の対立は、古来より延々と続いているらしい。私個人の思想はトラントゥール少尉に近いような気がしている。信仰を全否定するラクロワ中尉の考え方には抵抗感がある。だからと言って、少尉のような暴虐な行為は許されるものではないとも思う。

 しかし、アレだ。
 何の事かは分からないのだが、少尉の言ったアレが今回の調査対象だった。旧パルティア王国の時代、古都イブニスに帝国が残していったもの、遺失物らしい。

 私はその遺失物に関係している。それが何なのか分からない。何も知らされていないからだ。しかし、共和国とパルチザンの双方が、それを手に入れようと殺し合いをしているのは事実だ。

 古都イブニスが栄えたのは1000年もの昔。当時、パルティア王国は宇宙を飛び交う技術を持っていなかったが、帝国は違っていたらしい。彼らは数千年、いや、数万年以上も前から宇宙を飛び交い各惑星との交易を行っていた。当然、文化的、精神的な交流もあっただろう。
 帝国の宗教はパルティアに大いなる高みを与え、その功績は大きかった。自然崇拝から高次な宗教へと変貌を遂げたのだが、残念な事にその詳細な教義は残されていない。100年前の革命により排斥されたのは王族と貴族と僧侶なのど宗教家だったからだ。

 そんな、信仰の篤い人々に帝国からもたらされた遺失物だ。私としては何か精神的なものではないかと思っていた。聖遺物とでも言うようなものだ。それをもし共和国が汚すなら、パルチザンの行動も納得がいく。それが何かは分からないのだけど、彼らは命がけでそれを守ろうとするだろう。

 ボートは森の中のに流れる川を進んでいく。そして川は、途中から石造りの用水路となっていた。

「こちらは古都イブニスで利用されていた用水路となります。今も水量は豊富ですので、古都でも快適な生活ができるでしょう」

 レオナールが説明してくれた。そしてトラントゥール少尉が続ける。

「イブニスは上水道と下水道が完備されていた先進的な都市だったんだ。森林の中でありながら、この水路のおかげで交通に関しても便利だったらしい。元々水路は七本あったらしいのだが、今は一つしか残っていない」
「イブニスは、木々に囲まれ水の豊かな美しい都であったと聞いております」

 信仰の中心であり、自然が溢れる美しい都市は放棄された。生産効率を重視する近代化の波に押されての事だという。

第11話 聖遺物の神殿

 用水路が古都の中心部を流れていたおかげで、ほとんど歩くことはなかった。自分は体をろくに鍛えていないと自覚していたので、これは助かる。
 古都中心部は程よく整備されており、人の手が入っていることは間違いない。まだ夜明け前で周囲は薄暗いのだが、いくつかのかがり火が設置してあり、主要な通路は十分な明るさがあった。

「姫様。お疲れでしょうが、今から大切な場所へとご案内いたします」

 レオナールが先導してくれた。私は彼の後をついて行く。私の後ろから銀色のライフルを抱えたトラントゥール少尉とラクロワ中尉が続く。

「ここは既に奪還されております。そもそも、神殿の地下に共和国の手の者を侵入させたのは我々の落ち度でした」

 自動人形のレオナールが謝罪している。彼の責任ではないだろうに、どうしてこんなに真摯な態度なのだろうか。

「アラド自治州は100年前に消滅した。その遺志を継ぐとか何とか言ってる連中がこのロクセ中央神殿に巣食っているという情報が入ったんだ」

 割って入ってきたのはラクロワ中尉だ。

「大金をかけて、こんなポンコツ人形を何体も再生してる事で尻尾を掴まれたんだよ。動いたのは憲兵ではなくて俺たち調査部隊だったがな」
「余計な事をしてくれたものだ」

 今度はトラントゥール少尉がラクロワ中尉の言葉を遮った。しかし、ラクロワ中尉が反論する。

「余計じゃなかったね。お前たちが得体の知れない神サマを祭っているだけなら余計な事だったかもしれんが、祭っているモノがアレだったと知ってびっくり仰天したよ」
「これ以上、ロクセ神殿の本尊を冒涜する事は許さん」
「冒涜も何も、アレは血塗られた決戦兵器じゃないか。たった一機で戦車一個大隊に匹敵するという過剰戦力だ。だから共和国は平和的に管理しようとしていた。それなのに、貴様たちパルチザンが奪いに来た」
「何を勘違いしている。ロクセは元々パルティア王国の守護神なのだ。それを共和国が奪おうとするなら、抵抗するのは当然じゃないか」
「上手く行くと良いがな。お前たちがアレを稼働状態に持って行くには相当な時間と費用がかかる。俺たち調査部隊に任せておくのが妥当ではないのか」
「信仰心のない者に触らせるわけにはいかない。ロクセは守護神なのだ」
「確かに、戦乱時には守護神となるだろうよ。敵を殺しまくる決戦兵器だからな」

 少尉と中尉が言い争っているのだが、議論は何処までも平行線をたどっている。決着などつきそうにない。しかし、彼らの話を聞いて愕然としたのも事実だ。
 そう。私は古い時代の聖遺物であると思っていた。神像とか絵画のようなもの、もしくは聖人の残した骨や衣類などだ。しかし、実際は兵器だった。この話を聞き、パルティアの歴史の中で語られていたあるストーリーを思い出した。

 それは約1000年前、ヨキ大王の時代。パルティアの空と大地が悪魔の軍勢に覆われた。その、悪魔を撃ち払った英雄はロクセ。彼は神々しい光を放ち、悪魔の軍勢を焼き払ったと。
 過去において何かの戦乱があり、一人の英雄が現れて王国を救ったというのは事実であろう。しかし、その英雄とは帝国からもたらされた決戦兵器であり、1000年前のヨキ大王はその兵器を本尊として信仰の対象とした。事実は脚色され、神話のような曖昧な物語となったのだ。

「ところでレオナールさん。貴方のような自動人形はメンテナンスが大変なのでしょう?」
「もちろんです。共和国内では破損部分の修理は不可能ですし、部品も帝国から仕入れる必要があります。共和国は帝国と国交断絶状態ですので、東方のグラファルド皇国を経由するようになります」
「割高なんだね」
「はい。それでも共和国で新規に生産されたアンドロイドとは比較にならない性能となっております」

 私はレオナールの言葉に頷く。
 彼は、その金属製の見た目以外は人間そっくりなのだから。動作も話し方も。中に人が入ってるんじゃないかって疑いたくなるくらいに。

「さあここがロクセ中央神殿です。地下の礼拝堂へと向かいましょう」
「はい」

 石造りの神殿だ。地上三階建てと言ったところだろうか。まだ夜も明けていないというのに、十数名の人たちが出迎えてくれた。皆が片膝をついて姿勢を低くしている。
 その中で一人だけ突っ立っている人物が話しかけて来た。小柄で色白。いかにも聖職者であるという服装、青色の僧衣をまとっている。

「ようこそおいで下さいました。私は僧職を務めておりますエルクと申します。さあこちらへ」

 彼に誘われるまま、地下へと向かう幅の広い石造りの階段を降りていく。礼拝堂への扉開かれており、中へと入っていく。

 地下とは言うものの、明り取りと換気用の窓はあるようで、完全に塞がれた空間ではない。
 あの、帝国よりもたらされたという決戦兵器を安置し、その周囲りに土を盛り、更にその上に神殿を築いたのなら納得がいく。

 礼拝堂の正面には巨大な神像が座っていた。神々しいというよりは物々しいといった印象がある。鎧を着た兵士とでも形容すべき姿をしていたからだ。そして、その神像の前に一人の老婆が椅子に座り瞑目していた。

 彼女が老婆なのかどうか自信はない。ひょっとしたら人間ではないかもしれない。華奢な体躯に腰まである長い白髪で、直感的に老婆だと思ったのだが彼女の顔は異様だった。

 右半分が皺の深い老人の肌。左半分は光沢のある金属製だったからだ。よく見ると、彼女の左腕も無骨な金属製だった。

第12話 精霊の歌姫

「シルヴェーヌ姫。よく来てくれました」

 顔が半分金属製の女性が声をかけてきた。彼女の声は艶があって若い女性のようだった。

「シルヴェーヌです。あなたは?」
「私の名はジャネット・ロジェ。かつてパルティアの歌姫と呼ばれていた者です」
「パルティアの歌姫ですか?」
「ええそうです。1000年前のヨキ大王の時代より、私はパルティアに仕えています」

 1000年前? その途方もない年数に私は絶句してしまった。彼女はあの、悪魔の軍勢を焼き払ったという伝説の当事者なのだろうか。

「驚いていますね。無理もありません。私自身もこのような長きに渡り生き続けるなど思っていませんでした」
「どうしてそのような……長寿なのでしょうか? 私たちは平均80歳程度。長寿と言われているアルマ帝国の方でも平均180歳程度だと聞いております」
「そうね。この宇宙にはもっと長寿の人々もいるらしいけど、私たちの周りではアルマ帝国が最長寿の国です」
「はい」
「私は体を機械化する事で、1000年も生きながらえています」
「機械化ですか?」
「ええ。この顔を見ればおわかりでしょう」

 確かに、体を機械化していることは一目瞭然だ。しかし、それで本当に寿命が伸ばせるものなのか疑問は残る。

「こちらへ」

 椅子に座っていた彼女、ジャネットは立ち上がって後ろを向く。そして数歩ほど前に出た。

「この神像がロクセです。貴方もお聞きになったでしょう。このロクセは膨大な力を発揮できる決戦兵器であると」
「はい、戦車一個大隊に匹敵する戦闘力があると聞いております」
「そう。1000年前の兵器なのに、現代においてもそのような過剰な戦力であると評価されています。ところが、このロクセは……実はアルマ帝国の鋼鉄人形なのです」
「鋼鉄人形?」
「はい。帝国の決戦兵器です。鋼鉄人形はドールマスターでしか動かせないのです」
「ドールマスターですか?」
「そう。ドールマスターとは、自らの霊力を駆使して鋼鉄人形を操る聖なる戦士です。帝国にのみ存在する霊力使いであり、極めて希少です」
「それなら、このロクセは動かせないのでは?」
「ええ。本来ならばそうなのです。しかし、パルティアの精霊術を使う事により、ロクセと意思の疎通を図ることができました。精霊の歌でロクセを操ることができるのです」
「なるほど。貴方がロクセの操縦者となるわけですね」
「はい。私は精霊の歌を通じて、この鋼鉄人形ロクセと意思を通じ合うことができます。私は精霊の歌姫。必要とあらば、ロクセは幾多の敵を殲滅してくれるでしょう」

 話が見えて来た。
 古代パルティアは、祖国を救った英雄である鋼鉄人形ロクセを信仰の対象とした。ロクセ自身をそのまま本尊として安置し、その周囲に神殿を建造したのだ。そして、このロクセを稼働させるためには帝国のドールマスターが必須なのだが、古来より伝わるパルティアの精霊術で代用できる。その精霊術を行使する者が精霊の歌姫であると。

「ジャネットさん。貴方が精霊の歌姫であり、ロクセを操縦する者なのですね」
「はいそうです。でも、シルヴェーヌさんも私と同じ力をお持ちなのですよ」
「そうだったんですね」
「ええ」

 やはりそうだったのか。何かある、核心的な何かがあると思っていた。私があの、決戦兵器である鋼鉄人形ロクセを動かすことができるのなら、共和国軍で厚遇されていた事に、そして、私が父と呼んだあの人、モーガン・ボレリが私を貴族の子女のように扱っていた事にも納得がいく。私が精霊術の使い手なら、是非とも自陣営に確保しておきたいのは当然だ。

 ならばなぜ、私は共和国の父、あの無神論者で宗教を徹底的に嫌うモーガンの所にいたのか。

「私は何故か、共和国軍の方々から度の過ぎた厚遇をされていた事に疑問を持っていました。今の話が本当なら十分に納得できます」

 私の言葉にジャネットは何度も頷いている。そして再び語り始めた。

「では何故、貴方が共和国側にいたのか、その辺りの事情をお話ししましょう」

 顔の半分が銀色に輝く金属製のジャネット。皺だらけの肌と金属の顔は何故か柔和な印象しかない。

 そして私は、正面から彼女の目を見つめる。突然、彼女の胸に赤い光線が突き刺さり、鮮血がほとばしった。そして私の近くに立っていたトラントゥール少尉も赤い光線に貫かれて倒れてしまった。

 後方にある両開きの大きな扉から、二人の兵士が銀色のライフル……光線銃……を構えていた。

 そして、次の瞬間にはその二人の兵士に向かって突進していたレオナールの体が、光線で貫かれ、何か所も穴が開いてしまった。

「姫様……申し訳……」

 短い言葉を残して、彼は沈黙した。
 そうだ。通常の銃弾を受け付けない金属製の体を持つ自動人形に対しては、高熱の光線を放つあのライフルが有効なんだ。

「こいつはいいね。発光するのは目立つけど、発砲音はしねえ。外でやり合っても中の奴は気づかなかったしな」
「オッサン。無駄話はそこまでだ。裏切り者に止めをさしてさっさと逃げるぞ」
「ああ、そうだな」
 
 オッサンと呼ばれた方、アストン上等兵は倒れていたトラントゥール少尉の胸と頭を撃ち抜き、周囲に鮮血がまき散らされた。

「イシュガルド兵長、アストン上等兵。よく来てくれた。助かったよ」

 ラクロワ中尉が立ち上がって握手を求めるのだが、アストン上等兵もイシュガルド兵長も応えようとしなかった。

「俺たちの意見を聞いて戻ってりゃこんな事にはならなかったんだよ」
「そうだ。まさか、味方の中に敵が紛れ込んでいたとは思わなかったけどな」
「姫様、逃げるぞ」

 私はアストン上等兵に手を握られた。

「ちょっと待って。彼らを埋葬しなくては」
「早く逃げねえと、パルチザンの連中が押し寄せてきますぜ」
「そうだ。姫様の気持ちはわかるが、今はそんな事をしている場合じゃない」

 アストン上等兵とイシュガルド兵長が私を急かすのだが、ラクロワ中尉が彼らを制した。

「ちょっと待ってくれ。試したい事があるんだ。シルヴェーヌ。これを身に着けてくれないか」

 彼が差し出した物、小さな真珠が一つだけ輝いている黒のチョーカーと、螺旋状に渦を巻いている動物の角がついているカチューシャだった。

第13話 魔界の風景

 私は深く考えることはなく、ラクロワ中尉が差し出した装飾品を身に着けた。真珠が一つだけ光っている黒いチョーカーと動物の角がついているカチューシャだ。

 何か人外の、魔物か何かにでも仮装しているかのような気分になる。共和国に、ラクロワ中尉に、いいように利用されている。しかし、私には抗う事などできない。宗教的思想において、共和国とは相容れないことはわかっている。しかし、それだけだ。自分自身の成り立ちすら記憶には無く、ジャネットはそれに関わるであろう情報を話そうとした瞬間に撃たれてしまった。余計な事をしてくれたと言いたい気持ちはあるのだが、イシュガルド兵長とアストン上等兵は私を救いに来てくれたのだ。今更、文句を言う事などできない。

「あの防護チョッキが効いたようだな」
「ああ、ライフルの光線を遮断した。あんたに言われて渋々身に着けたが、こんな装備があったなんて驚きだ」

 中尉とイシュガルド兵長が話している。そうか。光線銃で撃たれて死んだと思っていた二人だったが、専用の防御装備があったんだ。

 私は首を左右に振り、頭に乗っている角が落ちない事を確認した。

ラクロワ中尉。どうするんですか?」
「ああ、すまない。その、神像の前に立ってくれるかな。そう、そこだ」

 私は中尉が指さす場所、ロクセの前に立った。

「そのまま動かないでくれ」
「はい」

 中尉は何をしたいのか。まさか、今からロクセを動かそうというのだろうか。私自身は何の準備もできていないのだが。

 ラクロワ中尉は手に提げていた黒いアタッシュケースを開き、その中に仕込まれている機械に触っている。パチパチといくつかのスイッチを弾いてから一人で頷いていた。

「これでよし。では始めるよ。ちょっと痺れるかもしれないけど、少しの間、我慢してくれ」
「はい」

 私はロクセを背に中尉と向かい合っている。中尉はしゃがんでアタッシュケースの中の機械に触っている。そして、首から下げていた赤いキーを取り出し、それを差し込んでカチャリと回した。

 その瞬間、私は青白い雷光に包まれた。
 眩い光に視野を覆われ何も見えない。

 その光は次第に赤く暗い色彩へと変化した。そして私は、深い井戸の中へ落ちていくような感覚を味わった。それは数千メートル、いや、もっと長い距離を、何処までも落ちていくようなとてつもない落下だった。

「シルヴェーヌ。聞こえるかね。シルヴェーヌ」

 中尉に呼ばれている。
 私は目を開いて返事をした。

「はい……」

 私は高い位置から中尉を見下ろしていた。これは違和感がある。

『私は、どうなったのでしょうか?』
「おお。成功したのか。ロクセの眼球に光が灯った」

 一体、何が起こっているのか。中尉は私の声が聞こえていない。位置関係からすれば私自身の視界がロクセの視界になっていると考えるしかない。そして私が立っていた場所、中尉とロクセの間には誰もいない。

「シルヴェーヌ。君は今、ロクセと一体化している。君の肉体も意識もだ」

 肉体も意識も一体化しているのか。先ほど、地の底まで落ちていくような感覚があったのだが、その過程でロクセと一体化したというのだろうか。 

「体を動かせるかね」

 私は礼拝堂の前側に座っている格好だ。腕、脚、指などを動かそうとしてみるのだが、ピクリとも動かない。

「声は出せるかな」

 中尉の声はよく聞こえる。しかし、『はい』と返事をしたつもりなのだが声は出でいなかった。

「ふむ。意思の疎通は出来ないか。やはりAモードでは深度に無理がある。Bモードで試してみよう」

 AモードとBモード。
 何が違うのだろうか。深度とは何だ。

「シルヴェーヌ。少し精神的な圧迫があると思うが我慢してくれ。Bモードで再起動する」

 ラクロワ中尉は首から下げていた青いキーを取り出し、スーツケースに収められた機械に差し込む。そしてカチャリと回した。

 私の視界は先ほどと同じ青白い光に包まれた。その光は次第に赤く暗い色彩へと変化し、光の無い漆黒へと変化した。

 何も見えない。
 しかし、何かの、誰かの息遣いを感じた。

 何人もの、大勢の人のうめき声と悲鳴、泣きむせぶ声。それらが一体となって私の周囲に渦巻いていた。

 漆黒の闇と思っていたのだが、そうではなかった。目を凝らすと、大勢の人が血を流して蠢いている。手足が千切れている人、内臓が飛び出している人、目玉が飛び出している人。彼らは死体のようだったが死に至っていない。

『苦しい』
『誰がこんな目に遭わせた』
『殺せ』
『八つ裂きにしろ』
『皆殺しだ』
『呪ってやる』

 怒りと苦悩、怨念と呪詛。
 凄まじい負の感情が渦巻いている。

 ここが地獄だと思った。
 多分、初めて見る光景だ。しかし、この惨状を私は知っていた。

 目の前に少女が立っていた。

 髪の色は燃えるような赤。
 瞳の色は溶けた鉄のようなオレンジ色。
 南方の人種のような浅黒い肌。

 黒いドレスをまとっていた彼女は、頭に二本の角が渦を巻くように生えていた。

 悪魔。
 心の奥底にその言葉が浮かんだ。

 そして、彼女の容姿が私によく似ている事に気づいた。髪の色、瞳の色、肌の色は全く違うのだが、顔つきや体型はそっくりそのままだと言って差し支えなかった。貧相な胸元も含めて。

第14話 シルヴェーヌとリリアーヌ

「私はリリア。あなたの姉よ」
「私の姉? お姉さまなのですか?」
「そうよ」

 いきなりそんな風に言われても、どう反応していいのかわからない。姉どころか、父や母の記憶すらないのだから。

「あら、ダンマリかしら?」

 彼女は数歩ほど歩を進め、私の正面に立つ。

「ねえ、シルヴェーヌちゃん。私、色々ムカつく事が多くてね。貴方もでしょ?」
「さあ?」
「とぼけなくてもイイわよ。貴方は過去の記憶を消された。そして今、共和国に利用されている」
「そうかも……」
「だからさ。私と一緒になろうよ。私たち姉妹が一緒になれば、世界最強なのよ。生意気な共和国の連中も、貴方を担いでパルティア復興を掲げるパルチザンも、どちらも私たちの自由を奪う悪者。だからね。私たちでやっつけちゃおうよ」

 リリアは私の両手を握り、熱心に訴えかけてくる。

「私が利用されているのは理解しています。だからと言って、暴力を振るうのは感心しません。私は静かに暮らしたいと願っています」
「静かに暮らすの? 精霊の歌を歌いながら?」
「多分、そうです」
「なるほどね。でも、それでいいの?」

 いいの?
 リリアの言葉が胸に突き刺さる。

 私は記憶を奪われている。恐らく、共和国が私を利用するために。
 何だかわからないが、これは人の尊厳を踏みにじるやり方だと思う。

「もういちど聞くわね。今のままでいいの?」
「よくない。いいわけない」
「でしょ。だったら私と一緒になろ? 絶対に損はさせないから」

 また一歩、彼女が近づいてくる。
 そして私の両手を握った。彼女の、オレンジ色に輝く瞳に吸い込まれそうになる。

「まだ踏ん切りがつかないの? 貴方が一番知りたい事を私は知っている」
「そうなの? それは私の過去の事?」
「そうね」
「だったらそれを教えてよ」

 怪しく笑いながら、リリアが私を抱きしめた。そして耳元でそっと呟く。

「だめよ。そもそも、あなたは私の話を信じない。だから、私が共有しているあなたの記憶、いえ、私たちの記憶を見せてあげる。その為には私たちが一緒になる必要があるの」

 血生臭い風がびゅうっと吹きすさぶ。
 そして、怨念のようなうめき声が一段と大きくなった。

『痛い。苦しい』
『助けて』
『殺してくれ。何故、死ぬことができないんだ』
『恨んでやる。呪ってやる』

 幾つもの怨嗟のうねりが周囲に渦を巻く。赤く、黒く、青く、黒い。そんな毒々しい色の想念が見えているようだ。

 こんな、地獄のような場所で私は何をしているのだろうか。そうだった。ラクロワ中尉の指示に従い、ロクセを起動する手伝いをした。そして何故か、私とロクセが一体化していた。しかし、最初に行ったAモードでは不完全だったようで、私の意思でロクセを動かすことができなかった。そして、中尉がBモードへと切り替えたら私がここにいたという訳だ。

 地獄のような風景。
 悪魔のような外見の少女、私の姉と名乗っている少女、リリア。

 私がこのおぞましい風景を受け入れる事。そしてリリアと一緒になる事。それがラクロワ中尉が言っていたBモードなのだろう。

 信仰の対象となっていたロクセだが、元々は帝国の決戦兵器である鋼鉄人形なのだ。その本質は殺戮と破壊であり他の何物でもない。ならば、私が地獄そのものになるという事なのだろう。

 そして、リリアの言った言葉が私の胸で輝いている事に気づく。
 
『貴方が一番知りたい事を私は知っている』
『私たちの記憶を見せてあげる』

 そうだ。
 私の記憶。私の過去。
 本当の自分を取り戻す為には避けて通れない。

「わかったわ。あなたの言う通りにします」
「そう言うと思ってた。だいすきよ、シルヴェーヌ」

 そう言って微笑んだ彼女の笑顔は輝いていた。リリアは私の頬に両手を当てた。そして、彼女の唇が私の唇にそっと触れた。その瞬間、私の周囲には七色の閃光が弾けた。七色……だが虹のように美しい光ではない。むしろ毒々しい、禍々しい光が混ざり合い、黒く変色していく。

 その、黒い光が私の中を満たしていった。
 それは、憤怒と苦悩と怨嗟が主体の圧倒的な黒い想念だった。

 私の心は動揺し始めた。
 そして、激しい怒りの感情が吹き上がってくる。

「どうして私の記憶を奪った」
「私を再び戦争の道具として使うのか? 再び殺せというのか。何万人も」
「痛い。心が痛い」
「私が踏みにじった魂たちが叫んでいる」

『痛い』
『苦しい』
『助けて』

 涙が溢れている。
 何も見えない。

 悲しいのか、悔しいのか。
 私にはわからない。

 薄々感づいていた。
 私自身が鬼神であったと。
 幾千人、幾万人の命を奪う鬼神とは私の事だったのだと。

『上手く行ったわ。目を開いて』

 リリアの声だ。
 私は目を開いた。

 私は先ほどと同じ位置にいた。
 そう、ロクセと一体化していた。そのままだった。私の姿はなく、目の前の低い位置にラクロワ中尉がいた。

 こいつだ。
 共和国の為に、私をいいように利用した。

 この神殿も気に入らない。
 私と、リリア姉さまを犠牲にして稼働させたロクセを神として崇め奉ったのだ。そのせいで、私は何万人殺したのか。

「成功したのか? シルヴェーヌ。私の声が聞こえるか? 返事は出来るか?」
「聞こえる。私を目覚めさせてはならぬと言い伝えておいたはずだ」
「それは1000年前の伝説だろ? このロクセを調査した際、この機体のコクピットに一人の少女が封印されていたんだ。1000年もの間、体が朽ちたりせずに生命を維持しているのには驚いたよ。君は生きていた。だから我々は救助したんだ」
「余計な事を」
「余計な事じゃない。このロクセを使用可能な状態に戻すことができれば、我が国は安全保障上優位な立場となる。諸外国との交渉において、格段有利な条件を提示できるんだ」
「私には関係ない。そして私だけでなく、リリア姉さまも目覚めさせたな」
「第二王女のリリアーヌ姫の事か? 彼女は何処にもいなかったぞ。コクピットは複座だったが、封印されていたのは君一人。第三王女のシルヴェーヌ姫ただ一人だ」
「姉さまの魂はロクセ本体に封印されていたのだ。共和国のヘボ技術者には、この魂の存在すら念頭にないのか? 鋼鉄人形は人の魂を中核に据える事で稼働していたのだ。知らなかったでは済まされないぞ」

 中尉と会話ができている。しかし、彼は無神論者であり、かつ、無霊魂主義者でもあった。人の魂で決戦兵器を稼働させているなど信じられないのだろう。顔面は蒼白で大量の汗を流し、手足は細かく震えていた。

「魂を弄んだ罪を死んで償え」

 ロクセの全身が光り始め、それは灼熱の炎となって周囲に吹き出した。中尉はあっという間に炎に包まれた。その後ろに立っていた二名の兵士、イシュガルド兵長とアストン上等兵も同じく、人型の炎と化していた。

第15話 シルヴェーヌの行方

 沈痛な面持ちで書類を見つめている初老の紳士。彼の手は震え、一筋の涙がその頬を伝う。その様子を褐色の肌をもつ青年将校が見つめていた。

「カーン大尉。ラクロワ中尉から連絡はないのか」
「調査部隊とその護衛部隊が、深夜パルチザンの襲撃に遭ったとの報告を最後に部隊との連絡は途絶えております」
「アズダハーグのトラントゥール少尉はどうした。特殊部隊の精鋭が揃って連絡を絶つなど有り得んだろう。それに装甲車と戦闘車もつけていた。パルチザンの戦力が予想外だったかもしれないが、歩兵しかいないはずだ。何故、撃破されるんだ」
「ごもっともです。ボレリ少将」
「一体、どうなっているのだ」
「調査部隊はイブニス森林地帯へと入る直前にパルチザンの襲撃を受けました。負傷者と故障車両を残し、主力部隊はイブニス森林地帯へと進入しました。その後、連絡が途絶えた事から、森林地帯でもパルチザンの襲撃を受けたと思われます。夜が明けてから到着した救援部隊からの報告では、残された負傷者も襲撃され、全滅しております。戦車などの車両は使用されておらず、また、現場に残された足跡から帝国製の戦闘用自動人形が使用されたと思われます。しかし、生存者がいない為、詳細は不明。また、古都イブニス方面では大火災が発生。周囲の森林地帯にも延焼し、救助部隊も森林地帯へ進めない状況となっております。現在は航空機による偵察活動に注力し、イブニス周辺の状況把握に努めております」
「シルヴェーヌ。彼女はどうした?」
「わかりません。今のところ消息は不明。ご遺体は発見されておりません」
「彼女はイブニスへ向かったのだろう? あの大火災に巻き込まれたのではないのか」
「残念ながら詳細は不明です。調査部隊のラクロワ中尉、特殊部隊アズダハーグのトラントゥール少尉も消息不明です」

 ボレリ少将が再び俯いて涙を流している。

「ああ。シルヴェーヌ。彼女を行かせるべきではなかった。彼女は1000年前の生き残りなのだ。ヨキ大王の第三王女シルヴェーヌ姫。こんな事で失うとは。彼女には戦など関係ない世界で優雅に暮らしてほしかった」
「心中お察しいたします」
「彼女は1000年前の、そのままの肉体と意識を保っていたのだ」
「そのお話は信じ難いのですが」
「私だって信じられん。しかし、事実だった。帝国が残した遺失兵器のコクピットに、当時そのままの王女が封印されていたのだ」
「はい」
「意識を取り戻した彼女は、どうして蘇生したのかと我々を激しく非難した。しかし、兵器に人が取り残されているならば救助するのが当然ではないのか? カーン大尉」
「おっしゃる通りです」
「彼女は現世での生存を望まず、自害しようとしたのだ。私は彼女を救うために洗脳術を施し記憶を奪った。私は間違っていたのか」
「いえ。賢明な判断であると存じます」
「多少強引だったかもしれん。しかし、僅かひと月であったが、私は彼女を実の娘のように慈しんだ。それなのに、このような事態に巻き込まれるとは……」
「ボレリ少将。それより先は」
「言わぬほうが良いと?」
「はい」
「いいや言わせてくれ。彼女を兵器として扱おうとした共和国軍参謀本部の連中め。あ奴らは人の心を持っておらん」
「それ以上は……何処に間者がいるかわかりませんぞ」
「ううう……シルヴェーヌ……私は……私は……」

 初老であるにもかかわらず、若者のように泣き崩れるモーガン・ボレリだった。その様を見つめながら、レディオス・カーンは校長室を後にした。外で待機していた女性秘書官に指示を出す。

「本日の面会は全て断るように。少将の体調如何では早退するように勧めろ。いいな」
「わかりました」

 中年の女性秘書官が敬礼をする。レディオスは彼女に頷いてから士官学校の教職員棟から外へ出た。

 馬車の横で二人の人物がレディオスを待ち構えていた。
 一人は黒服に身を包んだボレリ家のハウス・スチュワード、ブライアン・ブレイズ。もう一人はエプロンドレスをまとっている金属製の自動人形セシルだった。

「速やかに行動しろ。ロクセの確保が最優先だ。アレを暴走させれば共和国が滅びるぞ」
「了解しました。しかし、シルヴェーヌ姫は如何いたしますか? 場合によっては殺めても?」
「馬鹿者。そのような雑な方法は許さん」
「わかっております。一応、確認させていただきました」
「うむ。それとセシル様」
「はい」
「シルヴェーヌ姫の心を落ち着けるにはあなたの力が必要です。頼みましたよ」
「承知しております」

 黒服のBB(ブライアン・ブレイズ)と自動人形のセシルが揃って礼をした。

「ところでバリスタ大佐。まさかと思いますが、現地まで走れと?」
「他の選択肢はない。どの乗り物も、飛行機でさえも君たちの脚には勝てん」
「人使いの荒いお方だ」
人形使いも荒いですこと」
「セシル様。下手な洒落は控えてください。それとBB。私はレディオス・カーン大尉だ。間違えるな」
「失礼しましたカーン大尉」

 馬車の影で、BBとセシルは黄金色のオーラを身にまとい、そして消えた。幾つものつむじ風が舞い、そして幾多の木の葉を巻き上げた。

 その様を確認したレディオスは馬車の御者席に陣取っている人物に声をかけた。

「やれやれ、1000年経過してから揉め事が起きるとは運が悪い。いや、何か起こらねばあの二人の魂は救えぬ。揉め事も歓迎すべき……ですかな?」
「そうであると考えましょう。馬車を出しますので、大尉は後ろにお乗りください」
「そうはいきませんよ。さあ、貴方が馬車へお乗りください。ネーゼ様」
「御者の席は譲ってくれませんの」
「はい。譲りません」

 渋々と、ネーゼと呼ばれた女性は御車席から降りた。まだ少女と言ってもよい若い女性であり、彼女のふくよかな胸元は御者用の上着を内側から押し上げていた。

「ところでネーゼ様。彼女に任せて大丈夫でしょうか」
「問題ありません。自動人形のセシル……彼女は素晴らしい癒しの力を持っています」
「そうなのですね」
「ええ。でも、彼女だけでは手に余るかもしれない。その時は私もお手伝いしますよ。止めても無駄ですからね」
「承知しております。では、馬車を出します」
「よろしくどうぞ」

 レディオスが鞭を振るうと馬車は悠々と走り出し、共和国士官学校を後にしたのである。